26.2.12

【連載・杜ノート】(1)震災後1年、石巻へ




去年の3月初旬、自分と友達でクルマ好きの2人で卒業旅行を計画していました。
東京内をとにかくひたすら駆け巡るという楽しい旅の計画をじっくり練っていました。

卒業式後の春休みに行くという日程も決まり、あとは卒業を待つだけでした。
あんな世紀の大災害が起こるということなどつゆ知らずに…。





3月11日、自分たち3年生は午前中のみの授業で午後には既に帰路についていました。
自分ももれなくその一人で、徒歩二十分の距離の家に向かっていました。

3月らしい穏やかな天気のなか、北東には怪しい黒い雲が…。
特に気にもかけずにそのまま家に着きました。

すぐシャワーを浴び、軽く昼食を摂り、2階の自分の部屋へ。
パソコンを立ち上げ、ツイッターでつぶやいていたと思います。
このとき、2時半を過ぎていたように記憶しています。


卒業旅行へ向けての資料作りなどをツイッターと並行して行なっていたとき、
どのようにしてかは覚えていませんが、初期微動を感じました。

それが地震の揺れということをどのように確信したのかも覚えていませんが、
すぐに階段をかけ降りて台所にいた母に、調理をやめるように叫びました。

緊急地震速報は、埼玉には発令されていなかったので
携帯は至って静かだったはずですが、その数秒後、本震が来ました。


たまに体に感じるあのような揺れとは全く違う揺れ方にまず驚き、
とにかく壁によりかかって揺れが収まるのを待ちました。

そして、とっさにNHK総合を見ると、既に地震情報が流れていました。
そのテロップには「宮城県 震度7」の文字が―。


自分が経験した地震としては、あの新潟県中越地震以来の大きさだったでしょうか。
ただ、その規模の違いを理解するのにそう時間は要りませんでした。

「太平洋沿岸部全域に大津波警報」、「沿岸部は壊滅状態」、
「行方不明者多数」、「浜に200~300人の遺体」、…。

あまりにショッキングな情報が立て続けに流れ、自分も体調を崩しました。
地震発生から次の日の未明までのことは、これからもずっと忘れられません。



高校生になってからというもの、部活がとにかく忙しさを増し、
長期休暇という休暇はほとんどなかったように感じます。

鈴鹿に行ったのも、部活を休んでまでしなければいけなかったですし
震災後の1年はまさしくあっという間に過ぎました。


この時の流れのように、色々な大変なこともさっさと解決すればいいのにと何度も思いました。
ですが、思いとは裏腹に、原発事故は1年後になっても安定化にすら苦心する始末。

相変わらずの政府の対応にも、何度失望させられたことでしょうか。
結局、この震災で政府は何も変わらなかったわけです。



今年の2月初旬、ある嬉しい知らせを聞きます。
3月初旬に、学校の入試の関係で大型連休が組まれる、と。

ちょうど学年末考査とかぶることもあって、テスト勉強をするにも恵まれた日程でしたが、
それだけに使おうとは、そのときから少しも思っていませんでした。

「被災地に行こう」―。
決意はすぐにできました。


今年は珍しく、お年玉が結構残っており、使い道もまだ決まっていませんでした。
HTCのタブレットを買うか、Vitaを買うかで二ヶ月も悩んでいたのです。

そのため、旅をする予算は十分残されていました。
といっても、6万の財産ですが…。



今、3月2日の旅に向けて着実に準備が進んでおります。
その模様を、当ブログで連載方式で載せていこうと思います。

どうか、長いお付き合いをよろしくおねがいします。

次号は、「(2)一人旅のお供」という題でお送りします。

2 件のコメント:

時事リンク-jiji.link- さんのコメント...

被災地を生で感じれるなんて、羨ましいと言ったら変かもしれないけど、
俺の分まで頑張ってきてくれ!

Unknown さんのコメント...

>ひろびろ
CloseCar!Journalとして初めての大仕事かもな
崇車部の志を胸に行ってくるよ!